J.L.モラーについての素晴らしいインタビュー記事のご紹介

弊社がJ.L. Møllers(J.L.モラー)の正規輸入販売代理店として取引を始めた昨年2023年の後半から、J.L.モラーの製品が日本で或いは世界でどの様に評価されているのかを調べるうちに、オーストラリアのジャーナリストの方が書いたこの素晴らしいインタビュー記事に目が留まり、デンマークのJ.L.モラー本社に、併せて記事を書かれたDesign Dailyのご本人Mr.David Harrisonにも直接連絡をし、日本に於いてこの記事の転載の許可を申し出で快諾を頂きました。この一連のやり取りで、本当に良いものを大切にしたいと願う人々は時代を超え場所は違え世界に多く居て、見えない手で繋がっていることを痛感致しました。皆様にもご一読頂ければ幸甚の至りです。

J.L.モラーについての
素晴らしいインタビュー記事のご紹介

弊社がJ.L. Møllers(J.L.モラー)の正規輸入販売代理店として取引を始めた昨年2023年の後半から、J.L.モラーの製品が日本で或いは世界でどの様に評価されているのかを調べるうちに、オーストラリアのジャーナリストの方が書いたこの素晴らしいインタビュー記事に目が留まり、デンマークのJ.L.モラー本社に、併せて記事を書かれたDesign Dailyのご本人Mr.David Harrisonにも直接連絡をし、日本に於いてこの記事の転載の許可を申し出で快諾を頂きました。この一連のやり取りで、本当に良いものを大切にしたいと願う人々は時代を超え場所は違え世界に多く居て、見えない手で繋がっていることを痛感致しました。皆様にもご一読頂ければ幸甚の至りです。

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1960年代のJ.L.モラーのマーケティング画像
1960年代のJ.L.モラーのマーケティング画像。現在では有名になった1962年のModel 78 chair(モデル 78 チェア)を示しています。壁掛け額は会社のロゴです。
1960年代のJ.L.モラーのマーケティング画像
1960年代のJ.L.モラーのマーケティング画像。
現在では有名になった1962年のModel 78 chair(モデル 78 チェア)
を示しています。壁掛け額は会社のロゴです。
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J.L. Møller – 家族経営で “Made in Denmark” であり続けるミッドセンチュリーのマスターピース

(Design Dailyでの掲載日時: 2018年1月3日)

有名なデンマークの家具ブランドJ.L. Møllers(J.L.モラー)の創設者であるNiels O. Møller(ニールス O. モラー)の息子であるJørgen Møller(ヨルゲン・モラー)とその家族は、世界の販売代理店を巡る視察で最近シドニーを訪れ、娘のKirsten Møller(キーステン・モラー)に同社の最高経営責任者(CEO)の役割を引き継ぐことを発表しました。当社Design Daily(デザイン・デイリー)は父親ヨルゲンとその娘キーステンにインタビューする機会を得て、他のデンマークの家具メーカーのほとんどがポーランド、ハンガリー、ベトナム、中国といった国々に生産拠点を移しつつある中、J.L.モラーが1940年代に創業したときと同じ地、ユトランド半島Aarhus(オーフス)近郊の工場でデンマークの厳格な基準で今なお家具製造を続けることがどのようにして出来たのかを伺いました。

同社はニールス O. モラーによって、彼ニールスの父親Jorgen L. Møller(ヨルゲン L. モラー)が1920年代に立ち上げた家族経営の建具店の名前を継いで1944年に設立されました。ニールス O. モラーは創業の2年後に最初の椅子をデザインし、1951年から1959年にかけて発表したモデル71、75、77などの一連の大成功に依って、確かな品質と時代を超えたモダンなデザインで急速にその名を知られるようになりました。1961年までにはオーフス近郊の敷地も手狭になり、この時点でニールス O. モラーは敷地面積7000平方メートル―2,000坪を超える専用工場に投資するという大胆な一歩を踏み出しました。次の画像はニールス O. モラー、そして60年代の工場のアーカイブ画像です。

J.L. Møller – 家族経営で “Made in Denmark” であり続ける
ミッドセンチュリーのマスターピース

(Design Dailyでの掲載日時: 2018年1月3日)

有名なデンマークの家具ブランドJ.L. Møllers(J.L.モラー)の創設者であるNiels O. Møller(ニールス O. モラー)の息子であるJørgen Møller(ヨルゲン・モラー)とその家族は、世界の販売代理店を巡る視察で最近シドニーを訪れ、娘のKirsten Møller(キーステン・モラー)に同社の最高経営責任者(CEO)の役割を引き継ぐことを発表しました。当社Design Daily(デザイン・デイリー)は父親ヨルゲンとその娘キーステンにインタビューする機会を得て、他のデンマークの家具メーカーのほとんどがポーランド、ハンガリー、ベトナム、中国といった国々に生産拠点を移しつつある中、J.L.モラーが1940年代に創業したときと同じ地、ユトランド半島Aarhus(オーフス)近郊の工場でデンマークの厳格な基準で今なお家具製造を続けることがどのようにして出来たのかを伺いました。

同社はニールス O. モラーによって、彼ニールスの父親Jorgen L. Møller(ヨルゲン L. モラー)が1920年代に立ち上げた家族経営の建具店の名前を継いで1944年に設立されました。ニールス O. モラーは創業の2年後に最初の椅子をデザインし、1951年から1959年にかけて発表したモデル71、75、77などの一連の大成功に依って、確かな品質と時代を超えたモダンなデザインで急速にその名を知られるようになりました。1961年までにはオーフス近郊の敷地も手狭になり、この時点でニールス O. モラーは敷地面積7000平方メートル―2,000坪を超える専用工場に投資するという大胆な一歩を踏み出しました。次の画像はニールス O. モラー、そして60年代の工場のアーカイブ画像です。

ニールス O. モラー
ニールス O. モラー
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
ニールス O. モラー
ニールス O. モラー
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像

1981年に創業者ニールス O. モラーが亡くなり長男Jens Ole(イェンス・オーレ)が家業を一旦引き継ぎ、1994年彼イェンスの没後、弟ヨルゲンが継承し、現在も事業はこの場所でファミリービジネスとして続けられております。ヨルゲンにとって会社トップの継承は、家名と彼の父が残した素晴らしい事業遺産に対するロイヤリティ(忠誠心)への自問の連続でした。ヨルゲンと彼の若い家族はこの頃アメリカに移住し、テネシー州メンフィスとミネソタ州ミネアポリスに家具店舗を持っていたため、この決断は彼ヨルゲンにとって簡単なものではありませんでした。J.L.モラーの名が培ってきた高い品質への期待を維持し、また長く続いたファミリービジネスを継続する為にはモラー家の誰かがその役割を果すことが不可欠と判断するに至りました。

1960年代後半、オーフス近郊のホイビェアのJ.L.モラーショールーム。
1960年代後半、オーフス近郊のホイビェアのJ.L.モラーショールーム

それから23年、60歳になったヨルゲン・モラーは、アメリカで自身の事業を行い家族を養いながら、デンマークの大規模な工場を運営するということを、やりがいはあるが大変な仕事だと感じていました。彼の27歳の娘キーステンが数年前、第二学位取得のためにコペンハーゲンに移り住みそのまま留まることを決めたとき、彼女がデンマークの会社経営を引き継ぐことが非常に理にかなっていると判断するに至りました。結果として、キーステンは経済学部を卒業しアメリカで育ったにもかかわらずデンマーク語を流暢に話せるようになりました。

1981年に創業者ニールス O. モラーが亡くなり長男Jens Ole(イェンス・オーレ)が家業を一旦引き継ぎ、1994年彼イェンスの没後、弟ヨルゲンが継承し、現在も事業はこの場所でファミリービジネスとして続けられております。ヨルゲンにとって会社トップの継承は、家名と彼の父が残した素晴らしい事業遺産に対するロイヤリティ(忠誠心)への自問の連続でした。ヨルゲンと彼の若い家族はこの頃アメリカに移住し、テネシー州メンフィスとミネソタ州ミネアポリスに家具店舗を持っていたため、この決断は彼ヨルゲンにとって簡単なものではありませんでした。J.L.モラーの名が培ってきた高い品質への期待を維持し、また長く続いたファミリービジネスを継続する為にはモラー家の誰かがその役割を果すことが不可欠と判断するに至りました。

1960年代後半、オーフス近郊のホイビェアのJ.L.モラーショールーム。
1960年代後半、オーフス近郊のホイビェアのJ.L.モラーショールーム

それから23年、60歳になったヨルゲン・モラーは、アメリカで自身の事業を行い家族を養いながら、デンマークの大規模な工場を運営するということを、やりがいはあるが大変な仕事だと感じていました。彼の27歳の娘キーステンが数年前、第二学位取得のためにコペンハーゲンに移り住みそのまま留まることを決めたとき、彼女がデンマークの会社経営を引き継ぐことが非常に理にかなっていると判断するに至りました。結果として、キーステンは経済学部を卒業しアメリカで育ったにもかかわらずデンマーク語を流暢に話せるようになりました。

Nomaレストラン
コペンハーゲンにある世界的に有名なNomaレストラン。
テーブルの周りには同じく有名な1962年製のJ.L.モラー モデル78チェアが置かれています。
レストランにはさまざまなJ.L.モラーのチェアが配置されています。

「兄が亡くなったとき、私は工場を売却するか、或いはアメリカからデンマークの工場を経営するかの決断を迫られました。私は3人の子供と妻とともにアメリカに住んでいたので、これは簡単な選択肢ではありませんでした…。テネシー州メンフィスで家具店を経営していたので、家具ビジネスについては十分に知っていましたが、大西洋を行き来するのは控えめに言っても大変なことでした。その一方で、会社は健全な会社であり家族経営の会社だったので、存続させたかったのも本心でした。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

Nomaレストラン
コペンハーゲンにある世界的に有名なNomaレストラン。テーブルの周りには同じく有名な1962年製のJ.L.モラー モデル78チェアが置かれています。レストランにはさまざまなJ.L.モラーのチェアが配置されています。

「兄が亡くなったとき、私は工場を売却するか、或いはアメリカからデンマークの工場を経営するかの決断を迫られました。私は3人の子供と妻とともにアメリカに住んでいたので、これは簡単な選択肢ではありませんでした…。テネシー州メンフィスで家具店を経営していたので、家具ビジネスについては十分に知っていましたが、大西洋を行き来するのは控えめに言っても大変なことでした。その一方で、会社は健全な会社であり家族経営の会社だったので、存続させたかったのも本心でした。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

J.L.モラー モデル75チェアの60年代の画像
1954年にニールス O. モラーによってデザインされたJ.L.モラー モデル75チェアの60年代の画像
モデル79チェアの60年代の画像
1966年にニールス O. モラーによってデザインされたモデル79チェアの60年代の画像
J.L.モラー モデル75チェアの60年代の画像
1954年にニールス O. モラーによってデザインされた
J.L.モラー モデル75チェアの60年代の画像
モデル79チェアの60年代の画像
1966年にニールス O. モラーによってデザインされた
モデル79チェアの60年代の画像

J.L.モラーの将来はモラー家の新世代の手に委ねられていますが、生産コストの高いMade in Denmarkの製品が高額な商品となった現代にこのビジネスが成功し続けられるかどうかは未だ判りません。ヨルゲン・モラーによると、この様な時代でもJ.L.モラーの事業を他の国に移転しようと考えたことは一度もないとのこと。同社は従業員や原材料サプライヤーとの結びつきが強く、再販業者や顧客に対してもこれまでのブランドが維持してきた同じ高水準の品質を維持する大きな責任と義務があるのです。

「デンマーク製の家具が高価であることに疑いの余地はありません」とキーステン・モラーは言います。「けれど、何年も使えると考えれば、非常にコストパフォーマンスが良いと言えます。私たちの工場には、購入から40年経ったオリジナルのモラーの椅子を編み直すために工場を訪れる人が沢山います。多くの若い人たちが、祖父母や両親から受け継いだものに更に追加して増やしたいという理由で私たちの製品を購入しています。私たちは1960年代と同じ機械を使用し、同じ従業員を多く雇用しているため、現在製造しているチェアは50年前、60年前に製造したものとまったく同じです。」

J.L.モラーの将来はモラー家の新世代の手に委ねられていますが、生産コストの高いMade in Denmarkの製品が高額な商品となった現代にこのビジネスが成功し続けられるかどうかは未だ判りません。ヨルゲン・モラーによると、この様な時代でもJ.L.モラーの事業を他の国に移転しようと考えたことは一度もないとのこと。同社は従業員や原材料サプライヤーとの結びつきが強く、再販業者や顧客に対してもこれまでのブランドが維持してきた同じ高水準の品質を維持する大きな責任と義務があるのです。

「デンマーク製の家具が高価であることに疑いの余地はありません」とキーステン・モラーは言います。「けれど、何年も使えると考えれば、非常にコストパフォーマンスが良いと言えます。私たちの工場には、購入から40年経ったオリジナルのモラーの椅子を編み直すために工場を訪れる人が沢山います。多くの若い人たちが、祖父母や両親から受け継いだものに更に追加して増やしたいという理由で私たちの製品を購入しています。私たちは1960年代と同じ機械を使用し、同じ従業員を多く雇用しているため、現在製造しているチェアは50年前、60年前に製造したものとまったく同じです。」

J.L.モラーチェアが梱包されているアーカイブ画像
サンフランシスコに配送されるJ.L.モラーチェアが梱包されているアーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
J.L.モラー社のモデル75チェア
1950年代、J.L.モラー社のモデル75チェアが注文に応じて大量に生産されていた様子を写したアーカイブ画像
J.L.モラー工場のアーカイブ画像
J.L.モラー工場のアーカイブ画像
J.L.モラーチェアが梱包されているアーカイブ画像
サンフランシスコに配送されるJ.L.モラーチェアが梱包されている
アーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
60年代のJ.L.モラー工場のアーカイブ画像
J.L.モラー社のモデル75チェア
1950年代、J.L.モラー社のモデル75チェアが
注文に応じて大量に生産されていた様子を写したアーカイブ画像
J.L.モラー工場のアーカイブ画像
J.L.モラー工場のアーカイブ画像

J.L.モラーは70年代初頭にニールス O. モラーが最初に導入したのと同じ老朽化したCNCマシン(コンピューター数値制御機械)を使用しているだけでなく、現在でも1960年代と同じ製材所から木材を調達しています。すなわち、オーク材は南ドイツのシュペッサートから、メープル材はベルギーから、ビーチ材はデンマークから、チーク材はゆっくりと成長するビルマ産のもので、ウォールナット材はアメリカから輸入された厳選された原木を、木材輸入業者がデンマークでサイズに合わせてカットしたものです。「私たちは工場から南へ数時間行ったところにあるデンマークの丸太輸入業者の所に行きます。」とキーステン・モラーは言います。「そして私たちのニーズに最も適したものを選びます。家具を作るために適切な木材を選ぶ技術は非常に過小評価されていますが、これは極めて重要です。実際、それは科学なのです。」

J.L.モラー工場の空中椅子搬送システム
J.L.モラー工場の空中椅子搬送システムを示すアーカイブ画像

「当社ではすべての切断を伝統的な方法、つまりバンドソー(帯鋸)で行います。私たちのためにこの仕事をしてくれる職人は14~15年間この仕事をしており、何がデザインに最も適しているかや、節や見た目の良くない部分を避ける方法を知っています。」ヨルゲン・モラーは、同社が原材料の品質と木材の選択へのこだわりを捨てた場合、そのあらゆるコスト削減は逆にビジネスの損失となってしまうという事を確信しています。「私達自身が素材を究極的にコントロールできなければ、顧客を失うことになります。日本の市場は非常に儚く、もし本物のビルマ産チークが手に入らなければ、彼らは注文を止めてしまうと思います。彼らはインドネシアやアフリカのチークから作られた製品にはまったく興味がありません。」とヨルゲン・モラーは言います。

J.L.モラーは70年代初頭にニールス O. モラーが最初に導入したのと同じ老朽化したCNCマシン(コンピューター数値制御機械)を使用しているだけでなく、現在でも1960年代と同じ製材所から木材を調達しています。すなわち、オーク材は南ドイツのシュペッサートから、メープル材はベルギーから、ビーチ材はデンマークから、チーク材はゆっくりと成長するビルマ産のもので、ウォールナット材はアメリカから輸入された厳選された原木を、木材輸入業者がデンマークでサイズに合わせてカットしたものです。「私たちは工場から南へ数時間行ったところにあるデンマークの丸太輸入業者の所に行きます。」とキーステン・モラーは言います。「そして私たちのニーズに最も適したものを選びます。家具を作るために適切な木材を選ぶ技術は非常に過小評価されていますが、これは極めて重要です。実際、それは科学なのです。」

J.L.モラー工場の空中椅子搬送システム
J.L.モラー工場の空中椅子搬送システムを示すアーカイブ画像

「当社ではすべての切断を伝統的な方法、つまりバンドソー(帯鋸)で行います。私たちのためにこの仕事をしてくれる職人は14~15年間この仕事をしており、何がデザインに最も適しているかや、節や見た目の良くない部分を避ける方法を知っています。」ヨルゲン・モラーは、同社が原材料の品質と木材の選択へのこだわりを捨てた場合、そのあらゆるコスト削減は逆にビジネスの損失となってしまうという事を確信しています。「私達自身が素材を究極的にコントロールできなければ、顧客を失うことになります。日本の市場は非常に儚く、もし本物のビルマ産チークが手に入らなければ、彼らは注文を止めてしまうと思います。彼らはインドネシアやアフリカのチークから作られた製品にはまったく興味がありません。」とヨルゲン・モラーは言います。

椅子パーツをバンドソーでカットする様子
椅子パーツをバンドソーでカットする様子のアーカイブ画像。
椅子やテーブルのそれぞれの部位に適した木目や色合いを実現する為にこの伝統的な手法が今も受け継がれています。
J.L.モラー工場のオーダーボード
J.L.モラー工場のオーダーボード。各カードの中央に椅子のモデルが記載されています。
椅子パーツをバンドソーでカットする様子
椅子パーツをバンドソーでカットする様子のアーカイブ画像。
椅子やテーブルのそれぞれの部位に適した木目や色合いを実現する為に
この伝統的な手法が今も受け継がれています。
J.L.モラー工場のオーダーボード
J.L.モラー工場のオーダーボード。
各カードの中央に椅子のモデルが記載されています。

「当社ではすべての切断を伝統的な方法、つまりバンドソー(帯鋸)で行います。私たちのためにこの仕事をしてくれる職人は14~15年間この仕事をしており、何がデザインに最も適しているかや、節や見た目の良くない部分を避ける方法を知っています。」ヨルゲン・モラーは、同社が原材料の品質と木材の選択へのこだわりを捨てた場合、そのあらゆるコスト削減は逆にビジネスの損失となってしまうという事を確信しています。「私達自身が素材を究極的にコントロールできなければ、顧客を失うことになります。日本の市場は非常に儚く、もし本物のビルマ産チークが手に入らなければ、彼らは注文を止めてしまうと思います。彼らはインドネシアやアフリカのチークから作られた製品にはまったく興味がありません。」とヨルゲン・モラーは言います。

「1970年代に私の父がデンマークの家具業界で初めてのCNCマシンを手に入れて以来、我が家にはこの時代に作られた巨大な機械が2台あり、それを今でも使用しています。当時、父がそれらを購入した当時は巨額の投資でしたが、今ではそれが賢明な投資であったことが実証されました。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

1775年に磁器生産を開始したロイヤルコペンハーゲンのような世界的に有名な企業がタイに拠点を移す中、他の多くの有名なデンマークのメーカーとは異なり、J.L.モラーはデンマーク製というルーツに頑固にこだわり続けています。デンマークの名高い家具メーカーのフリッツ・ハンセンは現在すべての製品をデンマーク国外で生産しています。ハンス・ウェグナーのデザインを数多く手掛け、有名なYチェア(ウィッシュボーンチェア)を製造しているカール・ハンセン社のような企業でさえ、最近はベトナムの家具工場を買収しペーパーコード織りをベトナムにアウトソーシングするなど、積年の伝統から離れ、異なる道を歩もうとしているようです。

研磨中のテーブルのアーカイブ画像
研磨中のテーブルのアーカイブ画像。
手作業による仕上げは、今日に至るまでプロセスの重要な部分であり続けています。

「私の兄は16年間を通して仕事で日本を訪問しました。多くの取引先から私にも兄と同じように人との触れ合いを多くするよう勧めました。日本では家長との付き合いが大切で、さもなければビジネスの関係も上手くゆかないだろうと忠告する人もいました。即ち、日本人と一緒に海苔や生魚を食べに行かなければなりませんでした。私は冒険的な食事はしない方なのでそれは最悪でした。それ以外の点で、デンマーク人と日本人には多くの共通点があります。彼らは非常に義理堅く誠実な顧客であり、私達は1970年代以来築いてきた販売店との繋がりを今なお続けております。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

「1970年代に私の父がデンマークの家具業界で初めてのCNCマシンを手に入れて以来、我が家にはこの時代に作られた巨大な機械が2台あり、それを今でも使用しています。当時、父がそれらを購入した当時は巨額の投資でしたが、今ではそれが賢明な投資であったことが実証されました。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

1775年に磁器生産を開始したロイヤルコペンハーゲンのような世界的に有名な企業がタイに拠点を移す中、他の多くの有名なデンマークのメーカーとは異なり、J.L.モラーはデンマーク製というルーツに頑固にこだわり続けています。デンマークの名高い家具メーカーのフリッツ・ハンセンは現在すべての製品をデンマーク国外で生産しています。ハンス・ウェグナーのデザインを数多く手掛け、有名なYチェア(ウィッシュボーンチェア)を製造しているカール・ハンセン社のような企業でさえ、最近はベトナムの家具工場を買収しペーパーコード織りをベトナムにアウトソーシングするなど、積年の伝統から離れ、異なる道を歩もうとしているようです。

研磨中のテーブルのアーカイブ画像
研磨中のテーブルのアーカイブ画像。手作業による仕上げは、
今日に至るまでプロセスの重要な部分であり続けています。

「私の兄は16年間を通して仕事で日本を訪問しました。多くの取引先から私にも兄と同じように人との触れ合いを多くするよう勧めました。日本では家長との付き合いが大切で、さもなければビジネスの関係も上手くゆかないだろうと忠告する人もいました。即ち、日本人と一緒に海苔や生魚を食べに行かなければなりませんでした。私は冒険的な食事はしない方なのでそれは最悪でした。それ以外の点で、デンマーク人と日本人には多くの共通点があります。彼らは非常に義理堅く誠実な顧客であり、私達は1970年代以来築いてきた販売店との繋がりを今なお続けております。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

ヨルゲン&キーステン・モラー
ヨルゲン&キーステン・モラー
Nomaレストランに置かれたモデル78チェア
コペンハーゲンのNomaレストランに置かれたモデル78チェア
ヨルゲン&キーステン・モラー
ヨルゲン&キーステン・モラー
Nomaレストランに置かれたモデル78チェア
コペンハーゲンのNomaレストランに置かれたモデル78チェア

1994年、ヨルゲンの兄が心臓発作で突然亡くなったとき、ヨルゲンは彼の家庭とアメリカでのビジネスを維持するため、世界中のマーケットからの注文を満たすだけで精一杯だった当時のデンマークでの生産活動を多少スケールダウンする必要がありました。J.L.モラーでは、何年もの間マーケティングに専念し十分な時間をとれる人がいなかったので、キーステンはデンマークに住んでいる今は基本的にJ.L.モラーの歴史についてできる限り多くの情報を吸収し、すべてが伝統的にどのように行われてきたかを学んでいます。

「間もなく私はマーケティングや事業戦略の変更を提案する立場になりますが、家業の三代目として、祖父母、叔父、父が懸命に成し遂げてきたことの大部分を継承していくつもりです。」
― キーステン・モラー氏、J.L.モラー CEO

現在のJ.L.モラーシリーズの一部
現在のJ.L.モラーシリーズの一部。
左から右へ: モデル55チェア、モデル63ベンチの上にモデル78チェア、モデル71チェアの上にモデル80Aスツール、およびモデル78チェアがもう一脚。
画像提供:Design Within Reach

新CEOのキーステン・モラーによると、彼女のリーダーシップの下で同社の製造方法に根本的な変更はなく、会社の在り方をゆっくりと今日的に進めるだけだと言います。「J.L.モラーの歴代のCEOとは異なり、私は家具職人としての教育を受けておりませんので、木材と木工技術など家具製造については学ぶことがたくさんあり、工場に入りたての頃は父の工場視察について行き、出来るだけ多くのことを学びながら話を聞いておりました。今ではデンマーク語で木工の専門用語は理解しておりますが、これらの言葉が英語で何であるかは多少の不安はあります。唯、私には金融と経済のバックグラウンドがありますので経営面では多くのことに貢献する事が出来ます。」

下の写真は、J.L.モラー工場に備蓄されている未完成の椅子部品と、1959年にニールス O. モラーがデザインしたモデル44トロリーの完成品です。

1994年、ヨルゲンの兄が心臓発作で突然亡くなったとき、ヨルゲンは彼の家庭とアメリカでのビジネスを維持するため、世界中のマーケットからの注文を満たすだけで精一杯だった当時のデンマークでの生産活動を多少スケールダウンする必要がありました。J.L.モラーでは、何年もの間マーケティングに専念し十分な時間をとれる人がいなかったので、キーステンはデンマークに住んでいる今は基本的にJ.L.モラーの歴史についてできる限り多くの情報を吸収し、すべてが伝統的にどのように行われてきたかを学んでいます。

「間もなく私はマーケティングや事業戦略の変更を提案する立場になりますが、家業の三代目として、祖父母、叔父、父が懸命に成し遂げてきたことの大部分を継承していくつもりです。」
― キーステン・モラー氏、J.L.モラー CEO

現在のJ.L.モラーシリーズの一部
現在のJ.L.モラーシリーズの一部。
左から右へ: モデル55チェア、モデル63ベンチの上にモデル78チェア、
モデル71チェアの上にモデル80Aスツール、
およびモデル78チェアがもう一脚。
画像提供:Design Within Reach

新CEOのキーステン・モラーによると、彼女のリーダーシップの下で同社の製造方法に根本的な変更はなく、会社の在り方をゆっくりと今日的に進めるだけだと言います。「J.L.モラーの歴代のCEOとは異なり、私は家具職人としての教育を受けておりませんので、木材と木工技術など家具製造については学ぶことがたくさんあり、工場に入りたての頃は父の工場視察について行き、出来るだけ多くのことを学びながら話を聞いておりました。今ではデンマーク語で木工の専門用語は理解しておりますが、これらの言葉が英語で何であるかは多少の不安はあります。唯、私には金融と経済のバックグラウンドがありますので経営面では多くのことに貢献する事が出来ます。」

下の写真は、J.L.モラー工場に備蓄されている未完成の椅子部品と、1959年にニールス O. モラーがデザインしたモデル44トロリーの完成品です。

仕上げの研磨を待つ椅子の部品
仕上げの研磨を待つ椅子の部品
モデル44トロリー
1959年にニールス O. モラーが設計したモデル44トロリー
仕上げの研磨を待つ椅子の部品
仕上げの研磨を待つ椅子の部品
モデル44トロリー
1959年にニールス O. モラーが設計したモデル44トロリー

新しいウェブサイトの制作を開始し、ソーシャルメディアを適切に活用することだけでなく、キーステン・モラーは新しい市場に、より精力的に関与していくつもりです。2018年、同社は20年以上ぶりにケルン家具見本市に出展します。「この15年間、J.L.モラーは家具見本市に出展していませんでした。」とヨルゲン・モラーは言います。「父の時代には、ベルギーのコルトレイク、オランダのユトレヒト、東京の見本市、ストックホルム、ケルン、ロンドンのアールズコート、そしてもちろんコペンハーゲンでもよく展示をしていました。94年に私が会社のリーダーを引き継いだ頃は、オーフスを拠点にアメリカから会社を経営していており、組織化があまりにも複雑だったため、この状況は中断していました。」

新しいウェブサイトの制作を開始し、ソーシャルメディアを適切に活用することだけでなく、キーステン・モラーは新しい市場に、より精力的に関与していくつもりです。2018年、同社は20年以上ぶりにケルン家具見本市に出展します。「この15年間、J.L.モラーは家具見本市に出展していませんでした。」とヨルゲン・モラーは言います。「父の時代には、ベルギーのコルトレイク、オランダのユトレヒト、東京の見本市、ストックホルム、ケルン、ロンドンのアールズコート、そしてもちろんコペンハーゲンでもよく展示をしていました。94年に私が会社のリーダーを引き継いだ頃は、オーフスを拠点にアメリカから会社を経営していており、組織化があまりにも複雑だったため、この状況は中断していました。」

モデル64チェア(アーム付きのモデル79)の60年代のイメージ
モデル64チェア(アーム付きのモデル79)の60年代のイメージ。左は編み込みペーパーコードシート、右は張地バージョンです。
モデル83チェアのアーカイブ画像
1974年にニールス O. モラーによってデザインされたモデル83チェアのアーカイブ画像。
各座面には130メートルのペーパーコードが必要です。
モデル64チェア(アーム付きのモデル79)の60年代のイメージ
モデル64チェア(アーム付きのモデル79)の60年代のイメージ。
左は編み込みペーパーコードシート、右は張地バージョンです。
モデル83チェアのアーカイブ画像
1974年にニールス O. モラーによってデザインされた
モデル83チェアのアーカイブ画像。
各座面には130メートルのペーパーコードが必要です。

また、J.L.モラーのタイムレスなデザインスタイルを写す新しいプレス画像を撮影することも計画されています。「工場で働き始めたばかりの頃、私は何日もかけてアーカイブを調べ、会社が長年にわたって使用してきた画像に目を通しました。そして、後にあのBang & Olufson(バング&オルフセン)で働くことになる写真家が祖父のために撮影した1960年代の素晴らしい画像達に出会いました。シンプルでミニマルでありながら非常にエレガントな白黒の画像は本当に素晴らしいです。これらは刺激的で祖父がデザインした椅子がいかに時代を超越しているかを示しています。」

キーステン・モラーは、祖父ニールス O. モラーのアーカイブの中に、近い将来リリースを検討している隠れた宝があることも認めました。「間違いなく復刻することを考えているコーヒーテーブルとラウンジチェアが幾つかあります。」とキーステン・モラーは言います。「これらは一度も発売されなかったか、発売された期間が非常に短かったもので、広くアピールできる本当に優れたデザインであると私たちは確信しております。」また、他の建築家やデザイナーによる新しいデザインの可能性について質問されたキーステン・モラーは、「私たちは建築家やデザイナーから現代的なコラボレーションをしたいという連絡を受けることがよくありますが、これまでのところ私たちはその選択していません。私たちが最近紹介したバースツールは特定のプロジェクトのために開発されたものですが、実際には私の祖父が1959年にデザインしたモデル77チェアの延長線に過ぎず、これを完成させるのに1年半の歳月を費やしたことがその背景にもなっています。」

また、J.L.モラーのタイムレスなデザインスタイルを写す新しいプレス画像を撮影することも計画されています。「工場で働き始めたばかりの頃、私は何日もかけてアーカイブを調べ、会社が長年にわたって使用してきた画像に目を通しました。そして、後にあのBang & Olufson(バング&オルフセン)で働くことになる写真家が祖父のために撮影した1960年代の素晴らしい画像達に出会いました。シンプルでミニマルでありながら非常にエレガントな白黒の画像は本当に素晴らしいです。これらは刺激的で祖父がデザインした椅子がいかに時代を超越しているかを示しています。」

キーステン・モラーは、祖父ニールス O. モラーのアーカイブの中に、近い将来リリースを検討している隠れた宝があることも認めました。「間違いなく復刻することを考えているコーヒーテーブルとラウンジチェアが幾つかあります。」とキーステン・モラーは言います。「これらは一度も発売されなかったか、発売された期間が非常に短かったもので、広くアピールできる本当に優れたデザインであると私たちは確信しております。」また、他の建築家やデザイナーによる新しいデザインの可能性について質問されたキーステン・モラーは、「私たちは建築家やデザイナーから現代的なコラボレーションをしたいという連絡を受けることがよくありますが、これまでのところ私たちはその選択していません。私たちが最近紹介したバースツールは特定のプロジェクトのために開発されたものですが、実際には私の祖父が1959年にデザインしたモデル77チェアの延長線に過ぎず、これを完成させるのに1年半の歳月を費やしたことがその背景にもなっています。」

彼がデザインした最後の椅子、モデル85に座るニールス O. モラー
1981年、彼がデザインした最後の椅子、モデル85に座るニールス O. モラー

「私の父は椅子をデザインするとき、一度も製造の機械を見ませんでした。彼は約1年間作品に取り組むとそれを一旦地下室に保管し、半年後に再び向かい合い延べ5年に及ぶ試行錯誤を重ねたのちに、職長と製造責任者に集まってもらい、こう言います。「これが新しい椅子です。あとはどうやって生産するかはあなた達次第です。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

彼がデザインした最後の椅子、モデル85に座るニールス O. モラー
1981年、彼がデザインした最後の椅子、
モデル85に座るニールス O. モラー

「私の父は椅子をデザインするとき、一度も製造の機械を見ませんでした。彼は約1年間作品に取り組むとそれを一旦地下室に保管し、半年後に再び向かい合い延べ5年に及ぶ試行錯誤を重ねたのちに、職長と製造責任者に集まってもらい、こう言います。「これが新しい椅子です。あとはどうやって生産するかはあなた達次第です。」
― ヨルゲン・モラー氏、J.L.モラー 元CEO

J.L.モラー工場看板の芸術的なアーカイブ画像
J.L.モラー工場看板の芸術的なアーカイブ画像

J.L.モラーの詳細については、こちら、現地Official Webサイトをご覧ください。
https://www.jlm.dk/

J.L.モラー工場看板の芸術的なアーカイブ画像
J.L.モラー工場看板の芸術的なアーカイブ画像

J.L.モラーの詳細については、こちら、現地Official Webサイトをご覧ください。
https://www.jlm.dk/

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記事引用元:

Design Daily
https://www.designdaily.com.au/
Mr. David Harrison

“JL Møllers – Mid century Danish furniture that remains family owned and Danish made”
January 3, 2018
https://www.designdaily.com.au/blog/2017/12/jl-mller-mid-century-danish-furniture-that-remains-family-owned-and-danish-made

快く記事の翻訳・転載を承諾してくださったMr. David Harrisonに、そしてこの記事の転載を喜んでくれたJ.L.モラーのMs. Mille Skou Gettermannに改めて感謝を申し述べます。

記事引用元:

Design Daily
https://www.designdaily.com.au/
Mr. David Harrison

“JL Møllers – Mid century Danish furniture that remains family owned and Danish made”
January 3, 2018
https://www.designdaily.com.au/blog/2017/12/jl-mller-mid-century-danish-furniture-that-remains-family-owned-and-danish-made

快く記事の翻訳・転載を承諾してくださったMr. David Harrisonに、そしてこの記事の転載を喜んでくれたJ.L.モラーのMs. Mille Skou Gettermannに改めて感謝を申し述べます。

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★弊社IL DESIGN(イルデザイン)は、J.L. Møllers(J.L.モラー)の正規輸入販売代理店としてデンマークのメーカーから直輸入、お求めやすい価格をご提供しております。下記連絡先より、是非お気軽にお問い合わせください。

★弊社IL DESIGN(イルデザイン)は、J.L. Møllers(J.L.モラー)の正規輸入販売代理店としてデンマークのメーカーから直輸入、お求めやすい価格をご提供しております。下記連絡先より、是非お気軽にお問い合わせください。